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仙台二高へ渡辺家所蔵古文献寄贈donation to niko

 旧制仙台二中(二高の前身)の第三代校長、渡辺文敏家に代々、家宝として伝わる庄内藩ゆかりの古文献、約60点が、仙台二高図書館に寄贈された。贈り主は文敏校長の三男、渡辺宏さん(88歳、神奈川県厚木市在住)である。寄贈文献には、幕末から明治維新にかけての、日本の激動、変革の時代を、垣間見ることができる記録、絵図類も、多数含まれている。生徒たちが、日本の中世、近代史を、東北の視点から学ぶための、貴重な教材になるに違いない。
 その寄贈式が2005年7月2日に、二高校長室で行なわれた。式典会場のテーブルいっぱいに、寄贈文献が並べられ、その全目録が、宏さんから、柏葉浩明・現校長(第21代)に手渡された。宏さんが「温故知新」を訴え、手書きの文字文化の復興を願う挨拶をしたのが、印象深かった。昨年、このHPで既報の通り、文敏校長は、二中の生徒、教諭9人が犠牲となった蔵王遭難事故当時(1918年10月23日)に在任していて、引責辞職し、生涯、教職には戻らず、清貧の中で、ひたすら、犠牲者の慰霊と鎮魂の日々を送ったという。その父の遺志を引き継ぎ、宏さんは、これまで、二高側に知られることなく、蔵王へ、4回もの慰霊登山を重ねていた。昨年、病床にありながら、5回目の慰霊登山を計画していることが、初めて二高側に伝えられ、学校、同窓会、山岳部OB挙げてのサポート体制が敷かれた。そして、2004年10月16日に、好条件に恵まれたこともあって、5回目の慰霊登山を奇跡的に成功に導くことができた。高齢と病を克服して、頂上を極め、感涙にむせぶ宏さんの姿に、随伴したサポート・チームのメンバー一同は、もらい泣きさせられた。その、お礼と記念にと、宏さんが、渡辺家古文献の寄贈を申し出たものだ。
 渡辺家のルーツは、庄内藩酒井家の藩士である。寄贈文献は、庄内藩をモデルとした、藤沢周平の作品の世界の、武士たちの人間像を彷彿とさせるものがあり、興味深い。酒井家は徳川四天王の一人、家康の筆頭家臣、酒井忠次を祖とする由緒ある家柄で、幕末には、江戸の市中警備や、次々に来航する異国船の防備、外国使節団の接遇などにもあたった。そして、戊辰戦争では、反薩長の急先鋒となり、奥羽列藩同盟でも中心的な役割を担い、激戦の末、破れている。しかし、敗戦の憂き目にあったものの、終戦処理では、意外にも穏便な措置が講じられ、御家は安泰、取り潰しは免れた。詳述は省くが、その裏には、巧妙で、意表をつく、画策があったようだ。元来、酒井家には、礼節を重んじ、幕府の重責を果たす家風がある一方で、情報収集が巧みで、賢く時代の風を読み取り、うまく、世渡りする知恵も、持ち合わせていたように思える。その家風は、領民層まで浸透していた。それは一方で、領民のニーズに応えていく、人心掌握術にたけていたことに由来することかも知れない。
 天保年間に、庄内藩には、越後長岡へ国替えの沙汰が、幕府から出されている。これには、豊な土地を離れることに、藩挙げての反対運動が起こり、僧侶、農民などによる一揆が、将軍の菩提寺である、上野・寛永寺まで駆け上がり、駕籠訴に及ぶ大事になった。これに対し、幕府が、これほどまでに、領民に慕われる藩主に思いをいたし、国替えの幕命を覆すという、前代未聞の、一件落着となった。庄内藩のカラーがにじみ出たエピソードの一つだろう。
 さて、寄贈文献の中には、その直訴に及んだ上野・寛永寺の山内絵図もある。不忍池を配し、御本坊、御陵、中堂をはじめ、功徳院、寒松院などの各院の位置なども、詳細に書き込まれている。また、庄内藩が、江戸の市中警備にあたった4年間の一部始終の記録もあり、当時に関心を抱く、史家の垂涎の資料にもなりそうだ。
 異国船に備えて、酒田から松前まで北上する際の各寄港地の絵図も残されている。松前港に異国船が入った時、庄内藩が松前藩の防備の加勢に赴いており、その船中記もある。
 嘉永年間に、ペリー率いる米国使節団が浦賀に入り、幕府に開国を迫った時、庄内藩は、使節団の接待役を命じられている。その折の料理の献立表も見受ける。
 異国船に不審な動きがある時は「召し捕り方、切捨て、苦しからず」といった大目付の書状もあり、緊迫感を伝える。
 幕末の羽州、出羽の国(山形)全図には、722か村と、各村の年貢と思われる石高なども、細かく記されている。また当時の日本と周辺国の地図もあるが、これは、蝦夷地の探検などで「三国通覧図説」などを遺した、林子平のそれを模写したものである。
 ほかに、安政大地震の折の江戸市中の武家屋敷の被害記録とか、勝麟太郎(海舟)が伝習船に乗り込むときに、幕府に出した許可申請書の写しなどもあって、臨場感を誘う。
 さて、寄贈式典には、学校、同窓会関係者、慰霊登山をサポートした山岳部OBのほか、遺族代表として、安積壮吉さんも出席して、それぞれ、新たな感慨にひたった。もう一人、新潟・柏崎高校の東京同窓会事務局長、松浦孝義さん(ジャーナリスト)も、式典に駆けつけた。渡辺文敏校長が二中着任以前に、旧制柏崎中の初代校長を勤め、学校創立の功績があったこと、晩年に訪れた柏崎中で講演中に倒れ、客死したこと、などに松浦さんは、心うたれ、その生涯の足跡を追っている。二中の蔵王遭難や宏さんの過去4回の慰霊登山の事実も、以前から突きとめていて、それを、二高側に伝える情報源にもなっている。昨秋の5回目の慰霊登山にも随伴し、その手記を柏崎高の同窓会報に寄せている。今回の古文献寄贈のレポートも出稿するという。蔵王の悲劇で結ばれた二高と柏崎高の縁が“兄弟高”としての友情の絆を強めていくことだろう。なお、今度の寄贈は、渡辺家に代々伝わる古文献を散逸させないためにもと、二高側に、一括して末永く保存し、有効活用してもらえるよう、宏さんが打診したところ、学校、同窓会がともに快諾し、実現の運びとなった。学校側は、今後、専門家の鑑定を経て整理し、いくつかの虫食い、破損している文献には修復の手を加え、順次、生徒に公開していくことにしている。
 宏さんは、寄贈式で、5回目の慰霊登山の支援に感謝した後、要旨、次のように挨拶をした。「幕末の激動の時代を偲ばせる史料として、大切に保存し、見守ってきた、父と母は、この度、ゆかりの深い二高の図書館に納めていただくことができて、どんなにか、安堵していることでしょう。文字が、どんどん消えて行く時代に、古きを知ることは、新しい文化を育てることもできます。生徒の皆さんの身近に置くことによって、少しでも、お役に立つことができれば、望外の喜びです」。一方、柏葉校長は、いくつかの文献に目を通した感想をまじえながら、次のように謝辞を述べた。「イギリスの船が、オランダの船を追って、突然、長崎港に入ってきて、幕府を驚かせたという記録もあります。また、伊能忠敬の地図が出る、14年も前に描かれた林子平の地図もあり、今後、双方の違いを確かめることにも、興味を覚えます。それに、文敏校長のおじいさんの弟さんが、西南戦争の最中、熊本城で、討ち死にされたというお話も重ねて、歴史のつながりの身近さを感じました。貴重な古文献を大切に保存し、生徒たちには、直接、目に触れることによって、歴史に対する感性を磨いてもらいたいと、思っております」と。なお、柏葉校長は、県高体連の山岳部長をつとめたこともある、山登りのベテランで、蔵王に精通している。今年の4月に着任したばかりだが、昨年からの慰霊登山に関する経緯は、メディアの報道などで、よく承知しており、宏さんに会えることを楽しみにしていた。謝辞の最後に「宏さんが、今後も十分、健康に気をつけられ、もう一度、お元気で、蔵王に登られる時は、ぜひ、私も、ご一緒したい」と付け加え、会場から、いっせいに拍手がわいた。
 以上
 2005.7.17
 報告、出稿 千葉 英之(高4) 
 記録、写真 清野 英一(高6)

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